ポルトガル・スペイン両国を中心とした「大航海時代」を迎えていた、1454年。
イタリア半島中部・フィレンツェで、公証人の父と貴族出身の母との間に、彼は生まれました。
35歳のとき、メディチ家の銀行の仕事で、スペイン・セヴィリアに出向。
この町でコロンブスとも出会った彼の人生は、ここから大きく変わりました。
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Amerigo Vespucci |
西廻りインド航路を目指したコロンブスが、1492年に、現在の中米カリブ海・西インド諸島に到達。
「新大陸の発見者」としてあまりにも有名な彼ですが、当時はインドに到達したと考えられ、
そのために原住民を「インディアン」と呼んだ経緯は知られています。
ちなみに、スペイン船を率いて歴史的到達を成し遂げた彼は、イタリア半島・ジェノヴァの人でした。
ヴェスプッチも、スペイン、次いでポルトガルの船団で、中南米に4度の航海をしています。
そして1501年、当時インド・アジア大陸だと考えられていたこの大陸を、ヴェスプッチが「新大陸」
だと明らかにし、ヨーロッパ人の認識を大きく覆しました。
これを機に「アメリカ大陸」と呼ばれるようになったのは、実は彼の名前が由来になったわけです。
地中海及び陸路での東方交易で莫大な富を築いていたイタリア半島諸国ですが、外洋進出による
他国の興隆を尻目に、その後大きく衰退していき、ヨーロッパの盟主としての地位を失いました。
しかし、この世界史上の大転換期に、イタリアの航海士たちもまた、一役買っていたのです。
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ヴェスプッチの航海 |
「当時のイタリア半島列強が、有能な自国航海士を率いて外洋航路開拓に努めていれば…」
「今頃、中南米はイタリア語圏になっていたかもしれない…」
そんな仮説をイタリア人に問うと、彼らは一様に、思いもかけない顔をします。
当時も、そんなことはまったく考えていなかったのでしょうか…。
ともすれば、きらびやかに語られる「大航海時代」。
しかしその陰に、原住民が受けた略奪や虐殺の歴史があったことを、決して忘れてはいけません。
その大きな犠牲の元に築かれた繁栄を、イタリア半島諸国が手にしなかったことは、現在の
イタリア人がもつ素朴なメンタリティにつながる、彼らの歴史上の幸いだったとも思えてきます。
ポルトガル、スペインに続いて、イギリス、オランダ、フランスも「大航海時代」の主役に躍り出ます。
アメリカ大陸のみならず、アフリカ、アジア、オセアニア地域を次々に植民地にしていき、
現代まで続くヨーロッパ主導の世界秩序が、このとき形成されることになったのです。
日本にも1543年にポルトガル人が種子島に漂着し、戦国時代を大きく変えていきました。
明治維新後は、欧米列強によるアジア植民地化の時勢とともに近代化の道を歩んでいきました。
私たちの歴史とも深く関わっていく近代世界史。
イタリアの航海士たちがその扉を開く大きな足跡を残したことが、実は「アメリカ大陸」という
名称にも隠されていることを、ぜひ知ってもらえればと思います。
今年はアメリゴ・ヴェスプッチの没後500周年にあたり、彼の出身地・フィレンツェでは、
年末まで様々な関連イベントが開催されています。
ヴェスプッチ2012実行委員会・公式サイト(イタリア語・英語)
http://www.vespucci2012.com/?lang=it
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日伊友好史(1) - 戦国時代・カトリック宣教師
日伊友好史(2) - 明治時代・お雇い外国人
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