2012/11/30

リキュールの日本代表・ミドリ

バールのカウンターの後ろには、たくさんのお酒のボトルが並んでいます。
色彩豊かなリキュール類、スピリッツ、ウィスキー、ブランデー、ワイン…。
いずれも欧米を中心に生産される、いわゆる「洋酒」。

ところが、多くのバールでは、実はこの中に1本だけ日本のボトルを置いているのです。
鮮やかな緑色と特徴的なボトルデザインが目を引く、「ミドリ」(Midori)です。


ミドリは、サントリーから発売されているメロン・リキュール。
1978年にアメリカで発売され、1984年にようやく日本でも販売開始。イタリアでの販売は1991年
からですが、特にカクテルに力を入れているバールには必ず置いてある1本で、ミドリの名は
プロのバリスタなら誰でも知っている銘柄なのです。

とはいっても、一般的なお客さんにはまだそれほど知られていない存在です。
そのまま飲むことはなく、ミドリを使ったスタンダード・カクテルもまだわずか。
バリスタのオリジナル・カクテルによく使われる、「隠れた人気者」といったところでしょうか。

最も有名なカクテルは、「ジャパニーズ・スリッパー」(Japanese Slipper)でしょう。
1/3ずつ合わせたミドリ、コアントロー、レモンジュースをシェイクして、カクテルグラスに注いだ
ものです。ミドリの強い甘味の中にも、爽やかな酸味が効いた一杯。
1984年にオーストラリア・メルボルンのバーで考案されたといいます。

ちなみに、同じ分量で、ミドリに代えてウォッカ、レモンに代えてライムを使うと、「カミカゼ」
(Kamikaze)というカクテルになります。
どちらも国際バーテンダー協会の77種類の公式カクテルに指定されていて、私たち日本人には
親しみを感じるネーミングですね!

Japanese Slipper

世界的ブランドが並ぶボトルの中で堂々と存在感を示すミドリを見ていると、日本人として
誇りすら感じてきます。まさにリキュール界の日本代表!

世界五大ウィスキーのひとつとして、実は日本のウィスキーを置いているイタリアのバールも
少なくありません。しかし、日本酒や焼酎、梅酒など、日本が誇るお酒はまだまだあります。

例えば、ブラジルでは日本酒を使ったカイピリーニャのバリエーション・「サケリーニャ」が大人気。
こうしたカクテルがスタンダード・ドリンクとして世界に広まれば、イタリアのバールにももっと
日本のお酒が並ぶ日が来るはずです。

孤軍奮闘するミドリのボトルを眺めるたび、日本人バリスタとしての一つの使命を感じます。


2012/11/29

アメリゴ・ヴェスプッチ没後500年

皆さんは、アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci)という、歴史上の人物をご存知でしょうか?

ポルトガル・スペイン両国を中心とした「大航海時代」を迎えていた、1454年。
イタリア半島中部・フィレンツェで、公証人の父と貴族出身の母との間に、彼は生まれました。
35歳のとき、メディチ家の銀行の仕事で、スペイン・セヴィリアに出向。
この町でコロンブスとも出会った彼の人生は、ここから大きく変わりました。

Amerigo Vespucci

西廻りインド航路を目指したコロンブスが、1492年に、現在の中米カリブ海・西インド諸島に到達。
「新大陸の発見者」としてあまりにも有名な彼ですが、当時はインドに到達したと考えられ、
そのために原住民を「インディアン」と呼んだ経緯は知られています。
ちなみに、スペイン船を率いて歴史的到達を成し遂げた彼は、イタリア半島・ジェノヴァの人でした。

ヴェスプッチも、スペイン、次いでポルトガルの船団で、中南米に4度の航海をしています。
そして1501年、当時インド・アジア大陸だと考えられていたこの大陸を、ヴェスプッチが「新大陸」
だと明らかにし、ヨーロッパ人の認識を大きく覆しました。
これを機に「アメリカ大陸」と呼ばれるようになったのは、実は彼の名前が由来になったわけです。

地中海及び陸路での東方交易で莫大な富を築いていたイタリア半島諸国ですが、外洋進出による
他国の興隆を尻目に、その後大きく衰退していき、ヨーロッパの盟主としての地位を失いました。
しかし、この世界史上の大転換期に、イタリアの航海士たちもまた、一役買っていたのです。

ヴェスプッチの航海

「当時のイタリア半島列強が、有能な自国航海士を率いて外洋航路開拓に努めていれば…」
「今頃、中南米はイタリア語圏になっていたかもしれない…」
そんな仮説をイタリア人に問うと、彼らは一様に、思いもかけない顔をします。
当時も、そんなことはまったく考えていなかったのでしょうか…。

ともすれば、きらびやかに語られる「大航海時代」。
しかしその陰に、原住民が受けた略奪や虐殺の歴史があったことを、決して忘れてはいけません。
その大きな犠牲の元に築かれた繁栄を、イタリア半島諸国が手にしなかったことは、現在の
イタリア人がもつ素朴なメンタリティにつながる、彼らの歴史上の幸いだったとも思えてきます。


ポルトガル、スペインに続いて、イギリス、オランダ、フランスも「大航海時代」の主役に躍り出ます。
アメリカ大陸のみならず、アフリカ、アジア、オセアニア地域を次々に植民地にしていき、
現代まで続くヨーロッパ主導の世界秩序が、このとき形成されることになったのです。

日本にも1543年にポルトガル人が種子島に漂着し、戦国時代を大きく変えていきました。
明治維新後は、欧米列強によるアジア植民地化の時勢とともに近代化の道を歩んでいきました。

私たちの歴史とも深く関わっていく近代世界史。
イタリアの航海士たちがその扉を開く大きな足跡を残したことが、実は「アメリカ大陸」という
名称にも隠されていることを、ぜひ知ってもらえればと思います。


今年はアメリゴ・ヴェスプッチの没後500周年にあたり、彼の出身地・フィレンツェでは、
年末まで様々な関連イベントが開催されています。

ヴェスプッチ2012実行委員会・公式サイト(イタリア語・英語)
http://www.vespucci2012.com/?lang=it


【関連バックナンバー】
日伊友好史(1) - 戦国時代・カトリック宣教師
日伊友好史(2) - 明治時代・お雇い外国人