いよいよサマータイムが始まりました。
毎年3月の最終日曜、午前2時に時計の針を1時間すすめ、午前3時になります。
日本との時差は8時間から7時間に短縮されます。
これによって最も便利になるのが、イタリアから日本に国際電話をかけるときです。
例えば、仕事で日本に17:00までに電話する必要がある時、それはイタリア時間では朝09:00まで
という意味ですが、サマータイム期間中は朝10:00までに電話すればいいことになります。
朝の1時間はとても大きい!
また、家族や友人に夜24:00までに電話するとき、通常イタリア時間では16:00までに電話する
ところを、サマータイム期間中は17:00までに電話すればいいわけです。
イタリアで夕方の食前酒をとりながら、日本で晩酌する友人と、スカイプなどで乾杯もできます!
逆に日本から出勤前の朝08:00にイタリアに電話するとき、通常イタリア時間では夜24:00ですが、
サマータイム期間中は深夜01:00になるので、少し注意が必要ですね。
今後イタリアでは夜遅くまで空は明るくなります。
まだ明るいうちに仕事を終えて、バールでゆっくりお酒を飲む解放感は何ともいえません!
こうして毎晩バールは路上まで人で溢れ、夏に向けて熱気は加速していきます。
誰もが心浮き立つサマータイムの開始。夏はもう間近!
チャオ!仮想バール『ベッラ・イタリア』へようこそ! イタリアのバリスタYuskeが、ここ仮想バールでお相手します。日頃カウンターで話す最新情報・つぶやきを、バールでなかなかお会いできないイタリアを愛する日本のみなさまに語りかけます。 朝のカプチーノ、お昼のピッツァ、午後のエスプレッソ、ジェラート、夜のワイン、カクテル…。それぞれのシーンに合わせて、ぜひ“ご来店”お待ちしています。ごゆっくりお楽しみください!
2011/03/28
2011/03/27
開幕!MotoGP観戦ガイド
先週末、MotoGPが開幕しました!
ただ、MotoGPといっても、日本のほとんどの方は知らないのではないでしょうか?
MotoGP(モト・ジー・ピー)は、オートバイのロードレース世界選手権シリーズのこと。
ここイタリアでは、サッカーと並んで最も人気のあるスポーツのひとつです!
バールでもモニター観戦するお客さんで溢れ、イタリア人ライダーの活躍に熱気が高まります。
その興奮の中で一緒に応援するためにも、このMotoGPについてみてみましょう!
F1グランプリと同じようなモータースポーツだといえばわかりやすいでしょう。
世界各地を転戦し、各グランプリレースの順位に応じてポイントが加算され、
ワールドチャンピオン(年間王者)を決定します。
エンジンの排気量別に、125ccクラス、Moto2クラス(600cc)、そして最高峰のMotoGPクラス(800cc)
と3つのクラスに分かれ、それぞれのレースを楽しめるのも特徴です。
今シーズンは11月の最終戦まで全18戦。
MotoGPクラスには、全10チーム、17名のライダーが参戦します。
今回は、この最も人気のあるトップカテゴリー・MotoGPクラスを紹介してみたいと思います。
私たち日本人にとって馴染みやすいのは、主力チームが日本のメーカーだということ。
経済危機で2009年から撤退したカワサキを除き、ホンダ、ヤマハ、スズキが参戦しています。
一方、主力ライダーはスペイン、イタリア、アメリカに多く、今季はそれぞれ5名、4名、3名が参戦。
それに続いて、オーストラリア、イギリス、フランス、チェコ、日本から1名ずつとなっています。
名ライダーを次々に輩出するイタリアには、人気に支えられた底辺の広さがあるのでしょう。
なかでもイタリアの国民的英雄といわれているヴァレンティーノ・ロッシに注目!
彼は1996年の参戦以来、15年間で9度ワールドチャンピオンに輝き(そのうちMotoGPクラスでは
9年間で6度)、グランプリ通算105勝は、歴代2位の大記録です。
陽気な性格と、ファンサービス、派手なパフォーマンスで、人気実力ともにナンバーワン!
MotoGPクラスではホンダ、続いてヤマハに所属しましたが、今季からデュカーティに移籍し、
イタリア製マシンでのレースに大きな注目が集まっています。
今季のイタリア人ライダーは4名。
ヴァレンティーノ・ロッシValentino Rossi(ペーザロ・ウルビーノ県出身)
ロリス・カピロッシLoris Capirossi(ボローニャ県出身)
アンドレア・ドヴィツィオーゾAndrea Dovizioso(フォルリ・チェゼーナ県出身)
マルコ・シモンチェッリMarco Simoncelli(リミニ県出身)
出身地はみな、イタリア中部ロマーニャ地方に集中しています。
エミリア・ロマーニャ州は伝統的にモータースポーツが盛んで、モデナ近郊にはフェッラーリ、
ボローニャ近郊にはランボルギーニ、デュカーティとそれぞれの拠点があります。
名ライダーが生まれる土壌があるのかもしれませんね。
では、次に彼らの強力なライバルたちをみてみましょう。
ホルヘ・ロレンソJorge Lorenzo(スペイン/ヤマハ・ファクトリー)
--弱冠23歳の2010年王者。昨季までのロッシのチームメート。
ダニ・ペドローサDani Pedrosa(スペイン/レプソル・ホンダ)
--2007年から常に年間2位または3位につける実力派。デビュー以来ホンダ一筋。
ケーシー・ストーナーCasey Stoner(オーストラリア/レプソル・ホンダ)
--2007年王者で、当時所属デュカーティのチームタイトル獲得は、非日本勢として34年ぶり。
ニッキー・ヘイデンNicky Hayden(アメリカ/ドゥカーティ)
--当時4連覇中だったロッシを抑えて2006年王者。ロッシとは今季からチームメート。
レーシングチームに注目し、その所属ライダーを応援するのも面白いと思います。
主な4チームを挙げてみます。
レプソル・ホンダ (ドヴィツィオーゾ、ペドローザ、ストーナー)
ヤマハ・ファクトリー (ロレンソ、スピーズ)
ドゥカーティ (ロッシ、ヘイデン)
ホンダ・グレシーニ (シモンチェッリ、青山博一)
レース決勝が行われる日曜日のバールは、モニター観戦する多くのお客さんで賑わいます。
ほぼ全員がロッシを応援し、彼のゼッケン「46」がついたグッズを持つ人も少なくありません。
さらに他のイタリア人ライダーやドゥカーティ・チームの活躍にも期待しています。
互いのサポーター同士の対決が面白いサッカー・セリエAとは違って、ロッシやイタリア勢への
応援でその場の皆が一体となるMotoGPは、とても気持ちの良いものです。
さらにほとんどが日本製マシンなので、ファンは日本に親近感を持つ人たちばかり。
実は私も日本ではまったく知らなかったし、バイクのメカニックなことは詳しくありません。
ですが、そうした「素人」でも楽しめるのがMotoGPです。
F1と比べても、ピットインは極端に少ないか無いことも多く、実際の順位が非常に分かりやすい。
さらに、抜きつ抜かれつ目まぐるしく順位が入れ替わり、展開がとてもスリリング。
最高時速300km以上のスピード感や、一瞬の転倒など、とても目が離せません。
イタリア国民が熱狂するスピードを、あなたもバールで体験してみませんか?
一緒にイタリア人ライダーを応援してもいいし、日本人としては青山選手の活躍もアピール
したいところです。
特に国内開催のイタリアGP(7月3日・ムジェッロ)、サンマリノGP(9月4日・ミザーノ)には
多くのイタリア人もサーキット場に足を運びます。
日本GPは10月2日。会場は「ツインリンクもてぎ」(栃木県茂木町)。
この「Motegi」はイタリアではとても有名で、ファンにとっても憧れのサーキット場です。
目の前で観戦すれば、モーター音や実際のスピードの迫力に圧倒されることでしょう!
さて最後に、開幕戦・カタールGPの結果をお伝えしておきます。
1位:ストーナー(オーストラリア/レプソル・ホンダ)
2位:ロレンソ(スペイン/ヤマハ・ファクトリー)
3位:ペドローザ(スペイン/レプソル・ホンダ)
4位:ドヴィツィオーゾ(イタリア/レプソル・ホンダ)
5位:シモンチェッリ(イタリア/ホンダ・グレシーニ)
6位:スピーズ(アメリカ/ヤマハ・ファクトリー)
7位:ロッシ(イタリア/ドゥカーティ)
8位:エドワーズ(アメリカ/ヤマハ・テック3)
9位:ヘイデン(アメリカ/ドゥカーティ)
10位:青山博一(日本/ホンダ・グレシーニ)
ストーナーが圧倒的な強さを見せて優勝。
マシンの強さが際立ったレプソル・ホンダ勢は、今季の最有力チームといえるでしょう。
期待のロッシは新しいマシンにいまだ適応できず大きく出遅れ。今後に期待がかかります。
次回第2戦は4月3日、スペインGPです!
ただ、MotoGPといっても、日本のほとんどの方は知らないのではないでしょうか?
MotoGP(モト・ジー・ピー)は、オートバイのロードレース世界選手権シリーズのこと。
ここイタリアでは、サッカーと並んで最も人気のあるスポーツのひとつです!
バールでもモニター観戦するお客さんで溢れ、イタリア人ライダーの活躍に熱気が高まります。
その興奮の中で一緒に応援するためにも、このMotoGPについてみてみましょう!
F1グランプリと同じようなモータースポーツだといえばわかりやすいでしょう。
世界各地を転戦し、各グランプリレースの順位に応じてポイントが加算され、
ワールドチャンピオン(年間王者)を決定します。
エンジンの排気量別に、125ccクラス、Moto2クラス(600cc)、そして最高峰のMotoGPクラス(800cc)
と3つのクラスに分かれ、それぞれのレースを楽しめるのも特徴です。
今シーズンは11月の最終戦まで全18戦。
MotoGPクラスには、全10チーム、17名のライダーが参戦します。
今回は、この最も人気のあるトップカテゴリー・MotoGPクラスを紹介してみたいと思います。
私たち日本人にとって馴染みやすいのは、主力チームが日本のメーカーだということ。
経済危機で2009年から撤退したカワサキを除き、ホンダ、ヤマハ、スズキが参戦しています。
一方、主力ライダーはスペイン、イタリア、アメリカに多く、今季はそれぞれ5名、4名、3名が参戦。
それに続いて、オーストラリア、イギリス、フランス、チェコ、日本から1名ずつとなっています。
名ライダーを次々に輩出するイタリアには、人気に支えられた底辺の広さがあるのでしょう。
なかでもイタリアの国民的英雄といわれているヴァレンティーノ・ロッシに注目!
彼は1996年の参戦以来、15年間で9度ワールドチャンピオンに輝き(そのうちMotoGPクラスでは
9年間で6度)、グランプリ通算105勝は、歴代2位の大記録です。
陽気な性格と、ファンサービス、派手なパフォーマンスで、人気実力ともにナンバーワン!
MotoGPクラスではホンダ、続いてヤマハに所属しましたが、今季からデュカーティに移籍し、
イタリア製マシンでのレースに大きな注目が集まっています。
今季のイタリア人ライダーは4名。
ヴァレンティーノ・ロッシValentino Rossi(ペーザロ・ウルビーノ県出身)
ロリス・カピロッシLoris Capirossi(ボローニャ県出身)
アンドレア・ドヴィツィオーゾAndrea Dovizioso(フォルリ・チェゼーナ県出身)
マルコ・シモンチェッリMarco Simoncelli(リミニ県出身)
出身地はみな、イタリア中部ロマーニャ地方に集中しています。
エミリア・ロマーニャ州は伝統的にモータースポーツが盛んで、モデナ近郊にはフェッラーリ、
ボローニャ近郊にはランボルギーニ、デュカーティとそれぞれの拠点があります。
名ライダーが生まれる土壌があるのかもしれませんね。
では、次に彼らの強力なライバルたちをみてみましょう。
ホルヘ・ロレンソJorge Lorenzo(スペイン/ヤマハ・ファクトリー)
--弱冠23歳の2010年王者。昨季までのロッシのチームメート。
ダニ・ペドローサDani Pedrosa(スペイン/レプソル・ホンダ)
--2007年から常に年間2位または3位につける実力派。デビュー以来ホンダ一筋。
ケーシー・ストーナーCasey Stoner(オーストラリア/レプソル・ホンダ)
--2007年王者で、当時所属デュカーティのチームタイトル獲得は、非日本勢として34年ぶり。
ニッキー・ヘイデンNicky Hayden(アメリカ/ドゥカーティ)
--当時4連覇中だったロッシを抑えて2006年王者。ロッシとは今季からチームメート。
レーシングチームに注目し、その所属ライダーを応援するのも面白いと思います。
主な4チームを挙げてみます。
レプソル・ホンダ (ドヴィツィオーゾ、ペドローザ、ストーナー)
ヤマハ・ファクトリー (ロレンソ、スピーズ)
ドゥカーティ (ロッシ、ヘイデン)
ホンダ・グレシーニ (シモンチェッリ、青山博一)
レース決勝が行われる日曜日のバールは、モニター観戦する多くのお客さんで賑わいます。
ほぼ全員がロッシを応援し、彼のゼッケン「46」がついたグッズを持つ人も少なくありません。
さらに他のイタリア人ライダーやドゥカーティ・チームの活躍にも期待しています。
互いのサポーター同士の対決が面白いサッカー・セリエAとは違って、ロッシやイタリア勢への
応援でその場の皆が一体となるMotoGPは、とても気持ちの良いものです。
さらにほとんどが日本製マシンなので、ファンは日本に親近感を持つ人たちばかり。
実は私も日本ではまったく知らなかったし、バイクのメカニックなことは詳しくありません。
ですが、そうした「素人」でも楽しめるのがMotoGPです。
F1と比べても、ピットインは極端に少ないか無いことも多く、実際の順位が非常に分かりやすい。
さらに、抜きつ抜かれつ目まぐるしく順位が入れ替わり、展開がとてもスリリング。
最高時速300km以上のスピード感や、一瞬の転倒など、とても目が離せません。
イタリア国民が熱狂するスピードを、あなたもバールで体験してみませんか?
一緒にイタリア人ライダーを応援してもいいし、日本人としては青山選手の活躍もアピール
したいところです。
特に国内開催のイタリアGP(7月3日・ムジェッロ)、サンマリノGP(9月4日・ミザーノ)には
多くのイタリア人もサーキット場に足を運びます。
日本GPは10月2日。会場は「ツインリンクもてぎ」(栃木県茂木町)。
この「Motegi」はイタリアではとても有名で、ファンにとっても憧れのサーキット場です。
目の前で観戦すれば、モーター音や実際のスピードの迫力に圧倒されることでしょう!
さて最後に、開幕戦・カタールGPの結果をお伝えしておきます。
1位:ストーナー(オーストラリア/レプソル・ホンダ)
2位:ロレンソ(スペイン/ヤマハ・ファクトリー)
3位:ペドローザ(スペイン/レプソル・ホンダ)
4位:ドヴィツィオーゾ(イタリア/レプソル・ホンダ)
5位:シモンチェッリ(イタリア/ホンダ・グレシーニ)
6位:スピーズ(アメリカ/ヤマハ・ファクトリー)
7位:ロッシ(イタリア/ドゥカーティ)
8位:エドワーズ(アメリカ/ヤマハ・テック3)
9位:ヘイデン(アメリカ/ドゥカーティ)
10位:青山博一(日本/ホンダ・グレシーニ)
ストーナーが圧倒的な強さを見せて優勝。
マシンの強さが際立ったレプソル・ホンダ勢は、今季の最有力チームといえるでしょう。
期待のロッシは新しいマシンにいまだ適応できず大きく出遅れ。今後に期待がかかります。
次回第2戦は4月3日、スペインGPです!
2011/03/21
春の初日
今日は3月21日。
イタリアでは「今日から春が始まりました」と大きく報道されます。
「冬が終わった!」とみんな喜び、春の訪れを互いに喜び合って、幸せを感じる一日でもあります。
ところが実際にはまだ肌寒いことに変わりなく、昨日までと同様とてもコートは手放せません。
「春だよ!」と急かされても、「まだ春じゃない」と思ってしまうのは私が日本人だからでしょうか。
日本では春一番が吹いたり、実際に暖かくなってから、春の訪れを語り合いませんか?
「今日から春」だとやたら断定的に言って譲らないイタリア人を相手に、
私は毎年大人げなく意固地に議論してしまい、ちょっぴり苦い春の初日を迎えるのです。
日本では3月21日は春分の日ですね。
通念上「昼夜の長さが同じになる日」だといい、これから日が長くなる楽しみがあります。
結局はほんのちょっとした考え方、言い方の違いで、春を喜ぶ気持ちに変わりはありません。
しかし、自然の中に季節の移ろいを感じ、毎年春の訪れの早さ遅さに気を揉む日本人としては、
常にカレンダーの同じ日に春を開始するイタリアの言い回しに、文化の違いを感じてしまいます。
桜前線の北上を予想する日本の天気予報を話すと、イタリアでは本当に驚かれます。
「満開の桜の下でお花見をする」というと、とても詩的な風景を思い描くようで感心され、
「春分の日は春の彼岸の中日で、お墓参りに行く」というと、興味深そうに尋ねてきます。
逆に、イタリアでの春の行事はパスクア。つまりイースター(復活祭)です。
パスクアの日は毎年違って、春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日。翌月曜まで祝日です。
これは宗教行事ですが、長い冬が終わり春の訪れを感じさせてくれる風物詩でもあります。
今年のパスクアは4月24日。
パスクアのお菓子コロンバや、卵型のチョコレートなど、すでにスーパーに大量に並んでいて、
あとは春の暖かさを待つばかりといったところ。
「暑さ寒さも彼岸まで」というので、冬の寒さも一段落でしょうか。
イタリアでは短い春を経て、すぐに長い夏が到来します。
イタリアが最も美しく輝く季節まであと少し。そんな期待を抱かせる「春の初日」です。
イタリアでは「今日から春が始まりました」と大きく報道されます。
「冬が終わった!」とみんな喜び、春の訪れを互いに喜び合って、幸せを感じる一日でもあります。
ところが実際にはまだ肌寒いことに変わりなく、昨日までと同様とてもコートは手放せません。
「春だよ!」と急かされても、「まだ春じゃない」と思ってしまうのは私が日本人だからでしょうか。
日本では春一番が吹いたり、実際に暖かくなってから、春の訪れを語り合いませんか?
「今日から春」だとやたら断定的に言って譲らないイタリア人を相手に、
私は毎年大人げなく意固地に議論してしまい、ちょっぴり苦い春の初日を迎えるのです。
日本では3月21日は春分の日ですね。
通念上「昼夜の長さが同じになる日」だといい、これから日が長くなる楽しみがあります。
結局はほんのちょっとした考え方、言い方の違いで、春を喜ぶ気持ちに変わりはありません。
しかし、自然の中に季節の移ろいを感じ、毎年春の訪れの早さ遅さに気を揉む日本人としては、
常にカレンダーの同じ日に春を開始するイタリアの言い回しに、文化の違いを感じてしまいます。
桜前線の北上を予想する日本の天気予報を話すと、イタリアでは本当に驚かれます。
「満開の桜の下でお花見をする」というと、とても詩的な風景を思い描くようで感心され、
「春分の日は春の彼岸の中日で、お墓参りに行く」というと、興味深そうに尋ねてきます。
逆に、イタリアでの春の行事はパスクア。つまりイースター(復活祭)です。
パスクアの日は毎年違って、春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日。翌月曜まで祝日です。
これは宗教行事ですが、長い冬が終わり春の訪れを感じさせてくれる風物詩でもあります。
今年のパスクアは4月24日。
パスクアのお菓子コロンバや、卵型のチョコレートなど、すでにスーパーに大量に並んでいて、
あとは春の暖かさを待つばかりといったところ。
「暑さ寒さも彼岸まで」というので、冬の寒さも一段落でしょうか。
イタリアでは短い春を経て、すぐに長い夏が到来します。
イタリアが最も美しく輝く季節まであと少し。そんな期待を抱かせる「春の初日」です。
2011/03/20
日本の大地震とイタリアの反応
3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生しました。
地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
また震災から10日目の本日、石巻市で80歳女性と16歳少年を救出という報道がありました。
一刻も早く救助活動が進み、少しでも多くの命が救われるよう祈念いたします。
地震があったのは日本時間14:46(イタリア時間06:46)頃のことでした。
私は朝から鳴り響く電話の音で目が覚め、イタリアの友人たちが日本の大地震と被害状況を
伝えてくれました。それからは日本との連絡、情報収集に奔走することになりました。
ここイタリアでも、日本の大地震は連日一面記事、トップニュースとして大きく報道されています。
ニュース映像で伝わる被災地の惨状に、誰もが言葉を失い、ショックを受けています。
イタリア政府も支援を表明し、募金活動もすでに始まっています。
意外に知られていませんが、イタリアはヨーロッパの中では地震大国です。
1997年9月の大地震はアッシジを襲い、ジョットのフレスコ画などが崩落したサン・フランチェスコ
聖堂をはじめ甚大な被害を受けました。14年経った現在でも、その爪痕はまだ残っています。
最近では、2009年4月にアブルッツォ州ラクイラを中心とする大地震がありました。
この地震による避難所生活で、私のイタリア人の友人も亡くなっています。
地震に敏感なこうした国民感情もあって、連日温かい励ましの言葉を受けています。
「大好きな日本人がこんな被害に遭うのは耐えられない」「私たちがそばにいる」など…。
イタリアに集まる世界の人々も日本への支援に動いていることを実感しています。
また、イタリア人には特別な思いで日本の地震被害を見守っていることがあります。
それは、原子力発電所。
かつてイタリアにも原発はありました。
しかし1986年にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を機に、国民投票で
原発放棄を決定。4ヶ所あった原発をすべて廃止したのです。
その後は慢性的な電力不足を抱え、その一部をフランスやスイスからの輸入に頼ってきました。
こうした中、現在の保守系ベルルスコーニ政権が原子力発電回帰を掲げ、2013年までの建設、
2020年までの稼働の計画を発表。これに反対した野党が提訴し、憲法裁判所がその是非を問う
国民投票の実施を決定。その投票日が6月12-13日に迫っているのです。
ですから、現在も復旧作業が進む福島原発の問題は、イタリア国内に大きな一石を投じました。
原発反対派が勢いを増しており、ついには閣僚からも疑問の声が上がるほど。
今後議論はますます紛糾することは間違いありません。
地震当日の夜、長友選手ら先発全員喪章をつけて臨んだインテルの試合がありました。
カメルーン代表でもあるインテルFWエトー選手が先制点を決めた時のこと。
ゴール直後、彼は長友選手を呼び、「あなたたちの祖国へ」と言って強く抱き締めました。
自分までも、また日本人全員が抱きしめられたように感じ、言葉にならない感動を覚えました。
今、世界中のスポーツイベントで日本への支援メッセージが発信されています。
日本からは、プロ野球の開幕延期、Jリーグの中断などのニュースが入ってきます。
しかし選手たちの諦めない全力プレーは、被災地に必ず勇気を与えるものだと思います。
一日でも早くそうした環境になるよう心から願っています。
イタリアに住む日本人たちには、遠い国で情報を集めることしかできない無力感がありました。
しかし、今はそれぞれの形で支援活動を始めています。
私たちはすぐに日本に行けない代わりに、世界の人々に訴えかけることはできます。
復旧へと立ち向かう被災地の方々の強さには及ばなくても、少しでも助けになれるよう…。
今こそ世界中の日本人、いや世界中のすべての人々で結束していきましょう!!
地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
また震災から10日目の本日、石巻市で80歳女性と16歳少年を救出という報道がありました。
一刻も早く救助活動が進み、少しでも多くの命が救われるよう祈念いたします。
地震があったのは日本時間14:46(イタリア時間06:46)頃のことでした。
私は朝から鳴り響く電話の音で目が覚め、イタリアの友人たちが日本の大地震と被害状況を
伝えてくれました。それからは日本との連絡、情報収集に奔走することになりました。
ここイタリアでも、日本の大地震は連日一面記事、トップニュースとして大きく報道されています。
ニュース映像で伝わる被災地の惨状に、誰もが言葉を失い、ショックを受けています。
イタリア政府も支援を表明し、募金活動もすでに始まっています。
意外に知られていませんが、イタリアはヨーロッパの中では地震大国です。
1997年9月の大地震はアッシジを襲い、ジョットのフレスコ画などが崩落したサン・フランチェスコ
聖堂をはじめ甚大な被害を受けました。14年経った現在でも、その爪痕はまだ残っています。
最近では、2009年4月にアブルッツォ州ラクイラを中心とする大地震がありました。
この地震による避難所生活で、私のイタリア人の友人も亡くなっています。
地震に敏感なこうした国民感情もあって、連日温かい励ましの言葉を受けています。
「大好きな日本人がこんな被害に遭うのは耐えられない」「私たちがそばにいる」など…。
イタリアに集まる世界の人々も日本への支援に動いていることを実感しています。
また、イタリア人には特別な思いで日本の地震被害を見守っていることがあります。
それは、原子力発電所。
かつてイタリアにも原発はありました。
しかし1986年にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を機に、国民投票で
原発放棄を決定。4ヶ所あった原発をすべて廃止したのです。
その後は慢性的な電力不足を抱え、その一部をフランスやスイスからの輸入に頼ってきました。
こうした中、現在の保守系ベルルスコーニ政権が原子力発電回帰を掲げ、2013年までの建設、
2020年までの稼働の計画を発表。これに反対した野党が提訴し、憲法裁判所がその是非を問う
国民投票の実施を決定。その投票日が6月12-13日に迫っているのです。
ですから、現在も復旧作業が進む福島原発の問題は、イタリア国内に大きな一石を投じました。
原発反対派が勢いを増しており、ついには閣僚からも疑問の声が上がるほど。
今後議論はますます紛糾することは間違いありません。
地震当日の夜、長友選手ら先発全員喪章をつけて臨んだインテルの試合がありました。
カメルーン代表でもあるインテルFWエトー選手が先制点を決めた時のこと。
ゴール直後、彼は長友選手を呼び、「あなたたちの祖国へ」と言って強く抱き締めました。
自分までも、また日本人全員が抱きしめられたように感じ、言葉にならない感動を覚えました。
今、世界中のスポーツイベントで日本への支援メッセージが発信されています。
日本からは、プロ野球の開幕延期、Jリーグの中断などのニュースが入ってきます。
しかし選手たちの諦めない全力プレーは、被災地に必ず勇気を与えるものだと思います。
一日でも早くそうした環境になるよう心から願っています。
イタリアに住む日本人たちには、遠い国で情報を集めることしかできない無力感がありました。
しかし、今はそれぞれの形で支援活動を始めています。
私たちはすぐに日本に行けない代わりに、世界の人々に訴えかけることはできます。
復旧へと立ち向かう被災地の方々の強さには及ばなくても、少しでも助けになれるよう…。
今こそ世界中の日本人、いや世界中のすべての人々で結束していきましょう!!
2011/03/08
すべての女性にミモザの花を!
毎年3月8日の女性の日(Festa della Donna)をご存じですか?
「国際女性デー」という世界的な記念日ですが、イタリアではとても大きなイベントです。
この日、男性は女性にミモザの花を贈ります。
家族、友人、職場の同僚などすべての女性に、日頃の感謝の気持ちを伝えるのです。
花屋さんだけでなく、街角のいたるところでミモザを抱えた花売りが現れます。
バールではミモザの造花のオマケがついた限定商品(チョコレートなど)を販売したり、
なかには女性客全員にミモザをプレゼントする粋なお店も!
もらった花を手に歩く女性が目立ち、ふわふわした黄色いミモザの花で街は華やぎます。
家庭では、この日は男性が家事をすべてこなします。料理、掃除、洗濯…。
慣れない家事に汗をかきながら、子供たちが一生懸命手伝ってくれます。
女性は妻としての仕事、母としての仕事から離れ、自由を満喫する日でもあるのです!
バールやディスコ、クラブなどは、夜になると女性でいっぱい。
女性は入場料が無料になったり、特別イベントが開催されたりするので、
女友達同士、飲んで踊って思いっきり騒ぐのです!
日本では女性の日はほとんど知られていませんよね?
でも、とても素敵な習慣だと思いませんか?
もしバーで恋人と過ごすのなら、「ミモザ」という日本では有名なカクテルがあります。
シャンパンとオレンジジュースをシャンパングラスに注いだもので、ミモザと同じ黄色が
とても鮮やか。優雅で口当たりも良いです。
このカクテルをさりげなく注文するとカッコイイかもしれませんよ!
(フランス由来のカクテルで、イタリアでは無名。現地バールでは通じないのでご注意を)
街がミモザの黄色に染まるこの頃から、イタリアにも春の匂いが漂い始めます。
長く厳しい冬が終わり、春の訪れを感じさせる風物詩でもあるのです。
2011/03/06
適応能力を示した長友選手のイタリア初ゴール!
今日午後行われたサッカー・セリエA、インテルvsジェノア戦で、インテルDF長友選手が
見事ゴールを決めました!
チェゼーナ時代も含めて、イタリアでの初ゴールです。
この日は後半33分からの途中出場でしたが、4-1と大きくリードしている状況もあって
積極的に攻撃参加した結果生まれたゴール。
うまく反転して力強くゴール隅に決めた、ストライカー並みの技ありシュートでした!
特に印象的だったのが、ゴールを決めた後のチームメイトの祝福です。
司令塔スナイデルに手荒く抱きつかれながらも、アシストしたMFカルジャらも引き連れて
ベンチのレオナルド監督のもとへ一直線!
もみくちゃにされた後は、エースのエトー、キャプテンのサネッティらも加わり、
輪になってお辞儀のパフォーマンス!スタジアムは「ナガトモー!」の大合唱でした。
5点目というお祭り騒ぎもありましたが、祝福するチームメイトたちの表情を見れば、
長友選手が誰からも愛され、皆が彼の初ゴールを讃えている様子が分かります。
世界最高峰リーグのひとつであるセリエAには、これまでも日本人選手が挑戦してきました。
結果を出している選手はわずかですが、彼らに共通しているのはイタリア語を覚えたこと。
逆に結果が出せずに短期間で撤退していったのは、練習やインタビューで積極的に喋らず
学ぼうとしたのかどうかも定かではない選手たちです。
どの選手も高い技術は持っていました。
違いを分けたのは、チーム内でコミュニケーションをとったか、孤立したか、という点。
これはとても大事なこと。
私もバリスタとしてイタリアで何回もバールを「移籍」してきました。
その度に新人としてまずイタリア人のオーナー、同僚、お客さんの中に入っていくとき、
技術の前に最も大事なことが、コミュニケーションだと痛感しました。
イタリアには、日本のように「相手の考えを察する」という習慣は、一切ありません。
自己主張をして初めて自分の性格や考え方、意思が伝わるのです。
黙っていては、不気味どころか、存在すら気づいてもらえない屈辱を味わうことになります。
長友選手はまずチームメイトとじゃれ合い、好印象を与えています。
(仲良くなるには、いつだってシンプルな方法が一番!)
そうすることで、周りからアドバイスや気遣いを受け、ピッチではボールを回してくれ、
ミスをしてもカバーしてもらう、と容易に想像できます。
結果的にチームや戦術に早く適応することができ、これが成功するカギなのでしょう。
そしてすぐに結果を出せば出すほど、オーナーやサポーターの信頼は強くなります。
これはスポーツ選手のみならず、どんな職場でも、どんな学校でも同じことですよね。
ただ、イタリアに暮らす世界中の人たちと接してきて気づいたことがあります。
日本人の傾向としてコミュニケーション下手があり、それは他のどの国の人たちよりも
ズバ抜けていることです。
単に語学力不足、恥ずかしがり、といった性格的なものより、文化的な違いも大きいでしょう。
それは例えば、人を笑わせるジョークにも如実に表れていると思います。
イタリア人は誰もが笑えるような一般的な話題をネタにするのに対し、
日本人は知っている人には思い切りツボにハマるようなコアな言葉や表現を使います。
多様性に働きかける外向的アプローチと、同一性に働きかける内向的アプローチの違いは、
コミュニケーション手段としては対極で、文化の壁をまず感じる部分だと思います。
これは日本の、島国という地理、他民族とほとんど交わらず同じ文化を共有してきた歴史に
よるところがあるので仕方がありません。
しかし世界のほとんどの国には、異民族・異教徒らに侵略され支配された過去があって、
自衛のため、生き延びるため、自分の存在を理解させる意思表示が必要だったのです。
この価値観の根本さえ理解できれば、国際的なチームの中で自分が何を伝えるべきか
知ることは難しくないはずです。
ところが同時に、日本人が他の国の人たちに比べてズバ抜けていることが、他にもあります。
思いやり、真面目さ、器用さ、緻密さ、論理性、組織力といった、とても優秀な部分です。
日本人がどの国でも嫌われない、むしろ尊敬されている、特別な評価だと思います。
イタリア社会の中でも、多くの日本人が重用され活躍しています。
皆、明るく、主体的で、エネルギッシュな方々ばかりです。
長友選手もその素晴らしい見本となっています。
強豪インテルで出場し続けることはとても難しく、時にはスランプに陥ることもあるでしょう。
しかし、どんな厳しい状況も打開していく精神力が彼の一番の強さだと思うのです!
優秀な日本人が世界へと活躍の可能性を広げるために、実践的な外国語教育、および
コミュニケーション能力につながる主体性・表現力・適応力を身につけられる社会環境に
なっていってほしいと願います。
日本製工業製品というハードだけでなく、人材やサービスといった日本が誇るソフトも、
もっと輸出していく時期にきているのではないでしょうか?
見事ゴールを決めました!
チェゼーナ時代も含めて、イタリアでの初ゴールです。
この日は後半33分からの途中出場でしたが、4-1と大きくリードしている状況もあって
積極的に攻撃参加した結果生まれたゴール。
うまく反転して力強くゴール隅に決めた、ストライカー並みの技ありシュートでした!
特に印象的だったのが、ゴールを決めた後のチームメイトの祝福です。
司令塔スナイデルに手荒く抱きつかれながらも、アシストしたMFカルジャらも引き連れて
ベンチのレオナルド監督のもとへ一直線!
もみくちゃにされた後は、エースのエトー、キャプテンのサネッティらも加わり、
輪になってお辞儀のパフォーマンス!スタジアムは「ナガトモー!」の大合唱でした。
5点目というお祭り騒ぎもありましたが、祝福するチームメイトたちの表情を見れば、
長友選手が誰からも愛され、皆が彼の初ゴールを讃えている様子が分かります。
世界最高峰リーグのひとつであるセリエAには、これまでも日本人選手が挑戦してきました。
結果を出している選手はわずかですが、彼らに共通しているのはイタリア語を覚えたこと。
逆に結果が出せずに短期間で撤退していったのは、練習やインタビューで積極的に喋らず
学ぼうとしたのかどうかも定かではない選手たちです。
どの選手も高い技術は持っていました。
違いを分けたのは、チーム内でコミュニケーションをとったか、孤立したか、という点。
これはとても大事なこと。
私もバリスタとしてイタリアで何回もバールを「移籍」してきました。
その度に新人としてまずイタリア人のオーナー、同僚、お客さんの中に入っていくとき、
技術の前に最も大事なことが、コミュニケーションだと痛感しました。
イタリアには、日本のように「相手の考えを察する」という習慣は、一切ありません。
自己主張をして初めて自分の性格や考え方、意思が伝わるのです。
黙っていては、不気味どころか、存在すら気づいてもらえない屈辱を味わうことになります。
長友選手はまずチームメイトとじゃれ合い、好印象を与えています。
(仲良くなるには、いつだってシンプルな方法が一番!)
そうすることで、周りからアドバイスや気遣いを受け、ピッチではボールを回してくれ、
ミスをしてもカバーしてもらう、と容易に想像できます。
結果的にチームや戦術に早く適応することができ、これが成功するカギなのでしょう。
そしてすぐに結果を出せば出すほど、オーナーやサポーターの信頼は強くなります。
これはスポーツ選手のみならず、どんな職場でも、どんな学校でも同じことですよね。
ただ、イタリアに暮らす世界中の人たちと接してきて気づいたことがあります。
日本人の傾向としてコミュニケーション下手があり、それは他のどの国の人たちよりも
ズバ抜けていることです。
単に語学力不足、恥ずかしがり、といった性格的なものより、文化的な違いも大きいでしょう。
それは例えば、人を笑わせるジョークにも如実に表れていると思います。
イタリア人は誰もが笑えるような一般的な話題をネタにするのに対し、
日本人は知っている人には思い切りツボにハマるようなコアな言葉や表現を使います。
多様性に働きかける外向的アプローチと、同一性に働きかける内向的アプローチの違いは、
コミュニケーション手段としては対極で、文化の壁をまず感じる部分だと思います。
これは日本の、島国という地理、他民族とほとんど交わらず同じ文化を共有してきた歴史に
よるところがあるので仕方がありません。
しかし世界のほとんどの国には、異民族・異教徒らに侵略され支配された過去があって、
自衛のため、生き延びるため、自分の存在を理解させる意思表示が必要だったのです。
この価値観の根本さえ理解できれば、国際的なチームの中で自分が何を伝えるべきか
知ることは難しくないはずです。
ところが同時に、日本人が他の国の人たちに比べてズバ抜けていることが、他にもあります。
思いやり、真面目さ、器用さ、緻密さ、論理性、組織力といった、とても優秀な部分です。
日本人がどの国でも嫌われない、むしろ尊敬されている、特別な評価だと思います。
イタリア社会の中でも、多くの日本人が重用され活躍しています。
皆、明るく、主体的で、エネルギッシュな方々ばかりです。
長友選手もその素晴らしい見本となっています。
強豪インテルで出場し続けることはとても難しく、時にはスランプに陥ることもあるでしょう。
しかし、どんな厳しい状況も打開していく精神力が彼の一番の強さだと思うのです!
優秀な日本人が世界へと活躍の可能性を広げるために、実践的な外国語教育、および
コミュニケーション能力につながる主体性・表現力・適応力を身につけられる社会環境に
なっていってほしいと願います。
日本製工業製品というハードだけでなく、人材やサービスといった日本が誇るソフトも、
もっと輸出していく時期にきているのではないでしょうか?
2011/03/05
ミケランジェロ生誕祭
ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti)といえば、いわずと知れた天才芸術家。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロと並び、ルネッサンスの三大巨匠ともいわれています。
彫刻、絵画、建築などにおいて、傑出した作品を世に残しました。
ミケランジェロは、1475年3月6日フィレンツェ共和国カプレーゼ生まれ。
13歳のとき、フィレンツェの画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入りしたのち、
フィレンツェの支配者ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo il Magnifico)の自宅に引き取られ、
メディチ家の庇護のもと偉大な芸術家として成長していきます。
のちに活動拠点をローマに移しますが、フィレンツェが彼を芸術家として育てたのです。
そのフィレンツェで明日3月6日、ミケランジェロの生誕祭が催されます。
朝9:30から始まる時代行列(Corteo della Repubblica Fiorentina)に注目!
ミケランジェロの傑作ダヴィデ像のあるシニョリーア広場・市庁舎前(現在はレプリカですが、
元々オリジナルがあった)を出発。彼のお墓があるサンタ・クローチェ教会まで行列は続き、
墓前に花輪が供えられることになっています。
続いて、教会近くにあるミケランジェロ由来のブォナッローティ邸(Casa Buonarroti)でも
記念の花輪が献花される予定です。
ちょうど日曜日なので人手も多いことでしょう。
フィレンツェにお立ち寄りの際は、ぜひ足を運んでみてくださいね!
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロと並び、ルネッサンスの三大巨匠ともいわれています。
彫刻、絵画、建築などにおいて、傑出した作品を世に残しました。
ミケランジェロは、1475年3月6日フィレンツェ共和国カプレーゼ生まれ。
13歳のとき、フィレンツェの画家ドメニコ・ギルランダイオに弟子入りしたのち、
フィレンツェの支配者ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo il Magnifico)の自宅に引き取られ、
メディチ家の庇護のもと偉大な芸術家として成長していきます。
のちに活動拠点をローマに移しますが、フィレンツェが彼を芸術家として育てたのです。
そのフィレンツェで明日3月6日、ミケランジェロの生誕祭が催されます。
朝9:30から始まる時代行列(Corteo della Repubblica Fiorentina)に注目!
ミケランジェロの傑作ダヴィデ像のあるシニョリーア広場・市庁舎前(現在はレプリカですが、
元々オリジナルがあった)を出発。彼のお墓があるサンタ・クローチェ教会まで行列は続き、
墓前に花輪が供えられることになっています。
続いて、教会近くにあるミケランジェロ由来のブォナッローティ邸(Casa Buonarroti)でも
記念の花輪が献花される予定です。
ちょうど日曜日なので人手も多いことでしょう。
フィレンツェにお立ち寄りの際は、ぜひ足を運んでみてくださいね!
2011/03/03
リソルジメントとイタリア統一150周年
3月17日はイタリア統一150周年記念日です。
150年前の1861年3月17日、イタリア議会においてイタリア王国の成立が宣言され、
初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が即位しました。
これは19世紀に起こったイタリア統一運動・リソルジメントRisorgimentoの大きな成果です。
それまでのイタリアは、5世紀の西ローマ帝国滅亡以来、外国勢力による分割支配、
ローマ教皇領の成立、都市国家の分立が続き、半島は分裂状態にありました。
その歴史を変えたのは19世紀初め、フランス皇帝ナポレオンによるイタリア統一です。
ナポレオン後の欧州の新秩序を決めたウィーン会議で再びイタリアは分割されたものの、
わずか一時期でも統一されたことは、イタリアの民族意識を高めました。
ちなみに彼の出生地・コルシカ島は、彼が生まれた1769年にフランス領になりましたが、
それ以前はイタリアの都市国家ピサ、続いてジェノヴァに支配されていました。
ナポレオンの生まれたブォナパルテ家のルーツはイタリア・トスカーナ州の貴族で、
16世紀頃にジェノヴァ共和国の傭兵隊長としてコルシカ島に土着したといわれています。
フランス本土に渡った時にフランス風にボナパルトと改名していますが、
今でいう、イタリア系フランス人だったわけです。
さて、そのウィーン会議後から展開されたのが先述のリソルジメント。
初期は秘密結社・炭焼党Carbonariが各地で武装蜂起して革命を主導しました。
続いて、元党員ジュゼッペ・マッツィーニG. Mazziniが結成した青年イタリアGiovane Italiaが
統一運動の中心を担うも、フランスの軍事介入などでそれも失敗します。
代わりに登場したのが、サヴォイア王家が統治するサルデーニャ王国(首都トリノ)です。
サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世により首相に就任したカミッロ・カヴール
(カヴール伯爵カミッロ・ベンソ)は、革命ではなく外交によって統一事業を進めました。
国内では産業、交通、教育、軍隊の近代化政策を推し進め、立憲君主制国家として
イタリア統一に向けて他の半島諸国の支持を集めます。
さらにフランスなどの大国と同盟関係を結び、イタリア統一に有利な国際関係を構築しました。
そしてもう一人。軍人ジュゼッペ・ガリバルディG. Garibaldiの登場で統一は加速します。
商船隊の船乗りだった彼は、寄港先での出会いから青年イタリアに参加し、ジェノヴァで
マッツィーニと会見した際に炭焼党にも加わりました。
南米各地の戦争や革命でゲリラ戦術を身につけ、北米や太平洋まで航海をし、
イタリア各地では義勇兵を率いて戦っています。
契機となったのは1860年のシチリア島での反乱でした。
千人隊(赤シャツ隊)と呼ばれる義勇兵を組織し、わずか2隻の船でジェノヴァを出港。
シチリア島マルサラに上陸したのち、各地の反乱軍を取り込みながら全島を制圧。
そのまま海峡を渡ってナポリに進軍し、両シチリア王国を滅ぼします。
そしてなんと、これら南部の征服地を、何の見返りも求めずヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に
献上したのです!
イタリア中部諸国もサルデーニャ王国への併合を決め、1861年、統一国家イタリア王国が
建国されました。
マッツィーニ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、カヴール、ガリバルディらの名前は、
現在でも各都市の主要大通りの名前になっているので、聞いたことはあるかと思います。
リソルジメントの英傑として、統一イタリア・建国の父として、大きな尊敬を集めているのです。
5世紀以降のイタリア半島分裂の歴史から見れば、現在の統一イタリアはとても若い国家です。
各地域ごとの文化的多様性はこの歴史から生まれたもの。
現代イタリア人がいまだに統一イタリア人としての共通意識を持てないのもこのためで、
ミラノ人、ヴェネツィア人、フィレンツェ人、ローマ人、ナポリ人、シチリア人などと自称しています。
「イタリア人として一致団結できるのは4年に1度、サッカー・ワールドカップの時だけ…」と
冗談めかして言われます。
しかし統一150周年を機に、同じ民族としてより強くまとまっていくことを願い、
リソルジメント(=再生・復興)の文字通り、より新しいイタリアの姿を見せてほしいものです。
日本人にとっても、リソルジメントを知る絶好の機会となるでしょう。
ローマ帝国やルネッサンスの歴史は有名でも、リソルジメントがほとんど知られていないことは
残念でなりません。現代イタリアを理解する出発点だからです。
また、統一された1861年は、日本の明治維新(1868年・明治新政府発足)の時期と重なります。
幕末の志士が活躍した近代化への道同様、純粋に歴史物語としても興味深いものです。
こうしたリソルジメントの歴史を振り返る上でも、今年は関連イベントが目白押しです。
統一戦争ゆかりの各地で様々なイベントが企画されているので、注目してみてください。
公式ウェブサイトはこちらhttp://www.italiaunita150.it/(イタリア語のみ)
150周年記念日当日の今月17日は、学校は休校となり、国民の祝日扱いとなります。
首都ローマをはじめ、イタリア全土で祝賀行事が盛大に催されることになっています。
こんなにも魅力的な国が誕生した150年目の記念日、私たちも一緒にお祝いしましょう!
150年前の1861年3月17日、イタリア議会においてイタリア王国の成立が宣言され、
初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が即位しました。
これは19世紀に起こったイタリア統一運動・リソルジメントRisorgimentoの大きな成果です。
それまでのイタリアは、5世紀の西ローマ帝国滅亡以来、外国勢力による分割支配、
ローマ教皇領の成立、都市国家の分立が続き、半島は分裂状態にありました。
その歴史を変えたのは19世紀初め、フランス皇帝ナポレオンによるイタリア統一です。
ナポレオン後の欧州の新秩序を決めたウィーン会議で再びイタリアは分割されたものの、
わずか一時期でも統一されたことは、イタリアの民族意識を高めました。
ちなみに彼の出生地・コルシカ島は、彼が生まれた1769年にフランス領になりましたが、
それ以前はイタリアの都市国家ピサ、続いてジェノヴァに支配されていました。
ナポレオンの生まれたブォナパルテ家のルーツはイタリア・トスカーナ州の貴族で、
16世紀頃にジェノヴァ共和国の傭兵隊長としてコルシカ島に土着したといわれています。
フランス本土に渡った時にフランス風にボナパルトと改名していますが、
今でいう、イタリア系フランス人だったわけです。
さて、そのウィーン会議後から展開されたのが先述のリソルジメント。
初期は秘密結社・炭焼党Carbonariが各地で武装蜂起して革命を主導しました。
続いて、元党員ジュゼッペ・マッツィーニG. Mazziniが結成した青年イタリアGiovane Italiaが
統一運動の中心を担うも、フランスの軍事介入などでそれも失敗します。
代わりに登場したのが、サヴォイア王家が統治するサルデーニャ王国(首都トリノ)です。
サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世により首相に就任したカミッロ・カヴール
(カヴール伯爵カミッロ・ベンソ)は、革命ではなく外交によって統一事業を進めました。
国内では産業、交通、教育、軍隊の近代化政策を推し進め、立憲君主制国家として
イタリア統一に向けて他の半島諸国の支持を集めます。
さらにフランスなどの大国と同盟関係を結び、イタリア統一に有利な国際関係を構築しました。
そしてもう一人。軍人ジュゼッペ・ガリバルディG. Garibaldiの登場で統一は加速します。
商船隊の船乗りだった彼は、寄港先での出会いから青年イタリアに参加し、ジェノヴァで
マッツィーニと会見した際に炭焼党にも加わりました。
南米各地の戦争や革命でゲリラ戦術を身につけ、北米や太平洋まで航海をし、
イタリア各地では義勇兵を率いて戦っています。
契機となったのは1860年のシチリア島での反乱でした。
千人隊(赤シャツ隊)と呼ばれる義勇兵を組織し、わずか2隻の船でジェノヴァを出港。
シチリア島マルサラに上陸したのち、各地の反乱軍を取り込みながら全島を制圧。
そのまま海峡を渡ってナポリに進軍し、両シチリア王国を滅ぼします。
そしてなんと、これら南部の征服地を、何の見返りも求めずヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に
献上したのです!
イタリア中部諸国もサルデーニャ王国への併合を決め、1861年、統一国家イタリア王国が
建国されました。
マッツィーニ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、カヴール、ガリバルディらの名前は、
現在でも各都市の主要大通りの名前になっているので、聞いたことはあるかと思います。
リソルジメントの英傑として、統一イタリア・建国の父として、大きな尊敬を集めているのです。
ガリバルディ千人隊(赤)とサルデーニャ王国軍(青)の進路 |
Vittorio Emanuele II, Camillo Benso Conte di Cavour Giuseppe Mazzini, Giuseppe Garibaldi |
5世紀以降のイタリア半島分裂の歴史から見れば、現在の統一イタリアはとても若い国家です。
各地域ごとの文化的多様性はこの歴史から生まれたもの。
現代イタリア人がいまだに統一イタリア人としての共通意識を持てないのもこのためで、
ミラノ人、ヴェネツィア人、フィレンツェ人、ローマ人、ナポリ人、シチリア人などと自称しています。
「イタリア人として一致団結できるのは4年に1度、サッカー・ワールドカップの時だけ…」と
冗談めかして言われます。
しかし統一150周年を機に、同じ民族としてより強くまとまっていくことを願い、
リソルジメント(=再生・復興)の文字通り、より新しいイタリアの姿を見せてほしいものです。
日本人にとっても、リソルジメントを知る絶好の機会となるでしょう。
ローマ帝国やルネッサンスの歴史は有名でも、リソルジメントがほとんど知られていないことは
残念でなりません。現代イタリアを理解する出発点だからです。
また、統一された1861年は、日本の明治維新(1868年・明治新政府発足)の時期と重なります。
幕末の志士が活躍した近代化への道同様、純粋に歴史物語としても興味深いものです。
こうしたリソルジメントの歴史を振り返る上でも、今年は関連イベントが目白押しです。
統一戦争ゆかりの各地で様々なイベントが企画されているので、注目してみてください。
公式ウェブサイトはこちらhttp://www.italiaunita150.it/(イタリア語のみ)
150周年記念日当日の今月17日は、学校は休校となり、国民の祝日扱いとなります。
首都ローマをはじめ、イタリア全土で祝賀行事が盛大に催されることになっています。
こんなにも魅力的な国が誕生した150年目の記念日、私たちも一緒にお祝いしましょう!
2011/03/02
バリスタの選び方
「良いバール」の選び方。
これを説明するのはとても難しいこと…。
個性的なバリスタの集合体がバールなので、味も応対もバリスタによって大きく違うからです。
バールとバリスタの関係は、美容院と美容師の関係に似ている、といえば分かりやすいのでは?
お気に入りの美容師さんにいつも担当してもらう人も多いでしょう。
美容師さんが異動したり独立開業すれば、その新しいお店に通うことも珍しくないはずです。
それはバリスタも同じ。
技術の差や味覚のセンスが、作ったドリンクにそのまま体現される。いわば職人的な仕事です。
そしてイタリアには「接客マニュアル」がありませんから、素のとても自然な対応になります。
親切な人もいれば無愛想な人もいる。話が合う人と合わない人も当然いるでしょう。
また、どんなに優秀なバリスタでも、誰もが意外にも苦手なジャンルを持っています。
素晴らしく美味しいカフェを淹れるのに、カクテルのことはイマイチ分からない…。
オリジナルカクテルを作れるほどの腕前なのに、カプチーノの出来には少々ガッカリ…。
ワインはソムリエ並みの知識をもつ達人、創造力豊かにおつまみを作り続ける達人、
話術だけでドリンクを美味しく楽しく飲ませる雰囲気作りの達人…、などなど。
それだけバールで扱う範囲が広いということ。
すべてを無難にこなすゼネラリストではなくても、それぞれがスペシャリストたちです。
ですから、どのバリスタが何のスペシャリストなのか観察してみるのも、面白いと思いますよ!
しかし当然、お店による違いもあります。
コーヒー豆の選別、保管・管理方法、マシンの機種、ケア、お酒の銘柄、グラスやカップの種類…。
また、お店のつくり、内装、雰囲気も、味の印象を左右する大きな要素です。
さらに、他のバリスタと共同で管理していくものもあります。
コーヒー豆の挽き目の調整はトップバリスタの役割。他のバリスタは触ることも許されません。
共同で使う材料や備品も、自分だけのやり方で管理できるとは限りません。
例えば、一人のバリスタがミルクを冷蔵庫に入れず熱いマシンのすぐ横に放置していたり、
必要分量以上のミルクをスチーミングしてミルクピッチャーのなかに残すようでは、
次に使う他のバリスタは美味しいカプチーノを作ることができません。
また、バンコ(カウンター)の作業スペースは常に整理整頓され、清潔に保たれていないと
素早く正確なドリンク作り・提供が行えません。
日本では店舗で統一ルールを細かく設定し、スタッフ全員がそれを遵守します。
しかしイタリアの、特に小さなバールではそうした習慣はほとんどないのが現実。
オーナーやトップバリスタがしっかり指導しているようなお店なら、
どのバリスタも個々の持ち味を充分発揮して働くバール、だといえるでしょう。
各店舗の設備やオーナーの方針も違うので、馴染みのバリスタが別のバールに移っても、
「味が変わった」ということは当然あります。
しかし同じバールでも、例えばエスプレッソの場合、気温や湿度によっても味は若干変わります。
朝と夕方、晴天と雨天などで味は変わり、そのためにバリスタは一日に何度かマシンの調整を
しています。
また、バリスタも人間ですから気分の良い日と落ち込んでいる日があり、エスプレッソマシンも
まるで感情があるかのように日々調子は違います。
両者はまさに相棒で、日々お互いのフィーリングを確認し合いながら目指す味を探るのです。
チェーン展開が主流の日本において、エスプレッソマシンの取り扱いは非常に難しいものです。
従来の喫茶店、シアトル系などはもちろん、イタリアンバールをうたっているところでさえ、
オートまたはセミオートのエスプレッソマシンを使っています。
ほぼ均一の味が出せるうえ、学生アルバイト店員でも簡単に扱うことができるからです。
イタリアのバールにはオートマシンは存在しません。断言できます。
なぜでしょうか?
それは、オートマシンよりも格段に美味しいカフェを淹れることができるからです。
使い方を知らなければオートマシンよりもひどいカフェができてしまうし、抽出も不安定。
だからこそ、バリスタはプロの仕事なのです。
また、イタリア人にとって「均一の味」ほどつまらないものはありません。
日々に変化があることは人生では当たり前であり、むしろそれが人生です。
カフェも同じこと。
人が作り、人が飲むものですから、そこには常に変化に富む表情豊かな味があります。
苦味も甘味もすべては人生の味。
その味の違いを楽しめるようになれば、あなたはもう立派なイタリア人です!
これを説明するのはとても難しいこと…。
個性的なバリスタの集合体がバールなので、味も応対もバリスタによって大きく違うからです。
バールとバリスタの関係は、美容院と美容師の関係に似ている、といえば分かりやすいのでは?
お気に入りの美容師さんにいつも担当してもらう人も多いでしょう。
美容師さんが異動したり独立開業すれば、その新しいお店に通うことも珍しくないはずです。
それはバリスタも同じ。
技術の差や味覚のセンスが、作ったドリンクにそのまま体現される。いわば職人的な仕事です。
そしてイタリアには「接客マニュアル」がありませんから、素のとても自然な対応になります。
親切な人もいれば無愛想な人もいる。話が合う人と合わない人も当然いるでしょう。
また、どんなに優秀なバリスタでも、誰もが意外にも苦手なジャンルを持っています。
素晴らしく美味しいカフェを淹れるのに、カクテルのことはイマイチ分からない…。
オリジナルカクテルを作れるほどの腕前なのに、カプチーノの出来には少々ガッカリ…。
ワインはソムリエ並みの知識をもつ達人、創造力豊かにおつまみを作り続ける達人、
話術だけでドリンクを美味しく楽しく飲ませる雰囲気作りの達人…、などなど。
それだけバールで扱う範囲が広いということ。
すべてを無難にこなすゼネラリストではなくても、それぞれがスペシャリストたちです。
ですから、どのバリスタが何のスペシャリストなのか観察してみるのも、面白いと思いますよ!
しかし当然、お店による違いもあります。
コーヒー豆の選別、保管・管理方法、マシンの機種、ケア、お酒の銘柄、グラスやカップの種類…。
また、お店のつくり、内装、雰囲気も、味の印象を左右する大きな要素です。
さらに、他のバリスタと共同で管理していくものもあります。
コーヒー豆の挽き目の調整はトップバリスタの役割。他のバリスタは触ることも許されません。
共同で使う材料や備品も、自分だけのやり方で管理できるとは限りません。
例えば、一人のバリスタがミルクを冷蔵庫に入れず熱いマシンのすぐ横に放置していたり、
必要分量以上のミルクをスチーミングしてミルクピッチャーのなかに残すようでは、
次に使う他のバリスタは美味しいカプチーノを作ることができません。
また、バンコ(カウンター)の作業スペースは常に整理整頓され、清潔に保たれていないと
素早く正確なドリンク作り・提供が行えません。
日本では店舗で統一ルールを細かく設定し、スタッフ全員がそれを遵守します。
しかしイタリアの、特に小さなバールではそうした習慣はほとんどないのが現実。
オーナーやトップバリスタがしっかり指導しているようなお店なら、
どのバリスタも個々の持ち味を充分発揮して働くバール、だといえるでしょう。
各店舗の設備やオーナーの方針も違うので、馴染みのバリスタが別のバールに移っても、
「味が変わった」ということは当然あります。
しかし同じバールでも、例えばエスプレッソの場合、気温や湿度によっても味は若干変わります。
朝と夕方、晴天と雨天などで味は変わり、そのためにバリスタは一日に何度かマシンの調整を
しています。
また、バリスタも人間ですから気分の良い日と落ち込んでいる日があり、エスプレッソマシンも
まるで感情があるかのように日々調子は違います。
両者はまさに相棒で、日々お互いのフィーリングを確認し合いながら目指す味を探るのです。
チェーン展開が主流の日本において、エスプレッソマシンの取り扱いは非常に難しいものです。
従来の喫茶店、シアトル系などはもちろん、イタリアンバールをうたっているところでさえ、
オートまたはセミオートのエスプレッソマシンを使っています。
ほぼ均一の味が出せるうえ、学生アルバイト店員でも簡単に扱うことができるからです。
イタリアのバールにはオートマシンは存在しません。断言できます。
なぜでしょうか?
それは、オートマシンよりも格段に美味しいカフェを淹れることができるからです。
使い方を知らなければオートマシンよりもひどいカフェができてしまうし、抽出も不安定。
だからこそ、バリスタはプロの仕事なのです。
また、イタリア人にとって「均一の味」ほどつまらないものはありません。
日々に変化があることは人生では当たり前であり、むしろそれが人生です。
カフェも同じこと。
人が作り、人が飲むものですから、そこには常に変化に富む表情豊かな味があります。
苦味も甘味もすべては人生の味。
その味の違いを楽しめるようになれば、あなたはもう立派なイタリア人です!
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