2011/03/20

日本の大地震とイタリアの反応

3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生しました。

地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

また震災から10日目の本日、石巻市で80歳女性と16歳少年を救出という報道がありました。
一刻も早く救助活動が進み、少しでも多くの命が救われるよう祈念いたします。


地震があったのは日本時間14:46(イタリア時間06:46)頃のことでした。
私は朝から鳴り響く電話の音で目が覚め、イタリアの友人たちが日本の大地震と被害状況を
伝えてくれました。それからは日本との連絡、情報収集に奔走することになりました。

ここイタリアでも、日本の大地震は連日一面記事、トップニュースとして大きく報道されています。
ニュース映像で伝わる被災地の惨状に、誰もが言葉を失い、ショックを受けています。
イタリア政府も支援を表明し、募金活動もすでに始まっています。


意外に知られていませんが、イタリアはヨーロッパの中では地震大国です。
1997年9月の大地震はアッシジを襲い、ジョットのフレスコ画などが崩落したサン・フランチェスコ
聖堂をはじめ甚大な被害を受けました。14年経った現在でも、その爪痕はまだ残っています。
最近では、2009年4月にアブルッツォ州ラクイラを中心とする大地震がありました。
この地震による避難所生活で、私のイタリア人の友人も亡くなっています。

地震に敏感なこうした国民感情もあって、連日温かい励ましの言葉を受けています。
「大好きな日本人がこんな被害に遭うのは耐えられない」「私たちがそばにいる」など…。
イタリアに集まる世界の人々も日本への支援に動いていることを実感しています。


また、イタリア人には特別な思いで日本の地震被害を見守っていることがあります。
それは、原子力発電所。

かつてイタリアにも原発はありました。
しかし1986年にソ連(現ウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故を機に、国民投票で
原発放棄を決定。4ヶ所あった原発をすべて廃止したのです。
その後は慢性的な電力不足を抱え、その一部をフランスやスイスからの輸入に頼ってきました。

こうした中、現在の保守系ベルルスコーニ政権が原子力発電回帰を掲げ、2013年までの建設、
2020年までの稼働の計画を発表。これに反対した野党が提訴し、憲法裁判所がその是非を問う
国民投票の実施を決定。その投票日が6月12-13日に迫っているのです。

ですから、現在も復旧作業が進む福島原発の問題は、イタリア国内に大きな一石を投じました。
原発反対派が勢いを増しており、ついには閣僚からも疑問の声が上がるほど。
今後議論はますます紛糾することは間違いありません。


地震当日の夜、長友選手ら先発全員喪章をつけて臨んだインテルの試合がありました。
カメルーン代表でもあるインテルFWエトー選手が先制点を決めた時のこと。
ゴール直後、彼は長友選手を呼び、「あなたたちの祖国へ」と言って強く抱き締めました。
自分までも、また日本人全員が抱きしめられたように感じ、言葉にならない感動を覚えました。

今、世界中のスポーツイベントで日本への支援メッセージが発信されています。
日本からは、プロ野球の開幕延期、Jリーグの中断などのニュースが入ってきます。
しかし選手たちの諦めない全力プレーは、被災地に必ず勇気を与えるものだと思います。
一日でも早くそうした環境になるよう心から願っています。


イタリアに住む日本人たちには、遠い国で情報を集めることしかできない無力感がありました。
しかし、今はそれぞれの形で支援活動を始めています。
私たちはすぐに日本に行けない代わりに、世界の人々に訴えかけることはできます。
復旧へと立ち向かう被災地の方々の強さには及ばなくても、少しでも助けになれるよう…。

今こそ世界中の日本人、いや世界中のすべての人々で結束していきましょう!!

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